2016612日  礼拝メッセ―ジ

神様の無限の愛

 ルカの福音書101~5 

 

 

私たちに今必要なことは何でしょうか。

聖霊さまの油注ぎです。

油注ぎとは、「聖霊の満たし」を意味します。

聖霊様によって生まれ変わった者は、神様と本当に深い交わりが与えられます。

みなさんが、人々に伝えることは、これです。

私たちは「叫び」ます。

聖霊様!私はあなたがほしいのです。

イエス様、あなたと顔と顔を合わせたいです。

私の心は、ひたすらに餓え渇いています。

聖霊様。私の心にお入りください。

 

聖霊様がこの地上に遣わされた時、

「私は未熟児のような状態でした。」

「心が解放されている以前の状態でした。」

「油注ぎの意味も分からない状態でした。」

 

「私の心が主に従って、私の心は柔らかになってきました。」

 

「私の思いは、もう絶対に離さないという、そういう思いで満ちています。」

「油が注がれたら、それをいかに維持するか。ここが本当に難しいことを知りました。」

「自分がいかに弱い者であることを思い知らされました。」

 

パウロが、「私は弱い時に強い」という言葉の意味が分かったように思います。

 

「力強く歩むために、弱い自分を見つめることが、主に向かうことの基礎であることも分かりました。」

 

私は「生ける神に注目」します。

 

神様が、私たちに用意されている内容があります。

「そこを分かるまで追求する器になっていたいのです。

「主よ。飢え渇いています。」

本当に餓え渇いています!

「私の心の中に、神様の愛がどのくらいあるのか。いつも自分を見つめています。」

良き、牧者であることを願い祈っています。

 

「人生の歩み方と方向性と人生を生き抜く信仰にいつも「謙虚」でありますように。」

 

ルカ10:1

1、その後、主は別に70人を定め、ご自が行くつもりの全ての町や村へ、二人ずつお遣わしになった。

 

「あなたの夢、幻はどのようなものでしょうか。」

「あなたの人生の目的は何でしょうか。」

「私たちは、イエス・キリスト様にあって、御言葉を誇っているのでしょうか。」

 

「教会に来て、賛美し、メッセージを聞き、礼拝が終われば、また一週間、日常の中に埋没するのでしょうか。」

 

みなさんの主にある人生において、

目的が必要です。

幻が必要です。」

 

ここでは、イエス様が二人一組にして、これからご自身が行こうとする町や村に遣わされたのです。

 

2、そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。

 

「この主のことばは、私たちにも当てはまることばです。」

「収穫がやって来るということは、この日本に偉大な収穫の日が来るということです。」

 リバイバルです!

「信じる者は幸いです。」

「信じる者は必ず、収穫の日をむかえます。」

「信じる力です。」

「この目でその瞬間を見たいと切実に思っています。」

 

リバイバルは歴史の中で、世界中に起こっています。

聖霊様が激しく下ります。

そして、もう日本に来ています。

 

ですから、みなさんは、牧師と共に心を一つになります。

 

教会がリバイバルの恵みに預かる鍵は、みなさん一人ひとりの個人的な人生がかかっています。

 

その鍵の1番目は、一致すると言うことです。

2番目は、私たちは、神の王国の住民であることを確信することです。

3番目は、主の御国は王様の王族であることを確信することです。

4番目は、イエス・キリスト様に忠実であることです。

5番目は、イエス・キリスト様に絶対的な信頼を置くということです。

 

3、さあ、行きなさい。いいですか。私があなたがたを遣わすのは、狼の中に出すようなものです。

 

ここでは、狼の中に出すようなものです。とイエス様は言われています。

 

「この狼とは、悪魔悪霊どもを指しています。」

悪魔悪霊どもは、イエス様を伝える者に、やいばをむき出しにして襲ってきます。立ち向かって来ます。敵対して来ます。

ですから、あなたには聖霊様が必要なのです。

このことは、あなたの人生が成功することをも指しています。

 

悪魔悪霊どもは強いのですよ。

侮ったら大変ですよ。

創造主によってアダムが創造された時に、悪魔はいました。

悪魔は全人類が生まれた時から、人間の強さも弱さも知りつしくています。

それは、あなたの弱点を知り尽くしているということです。

信仰がしっかりしないと、簡単にやられます。

簡単に、信仰が本末転倒になっても気が付かないように脳細胞をじわじわと壊していきます。

本当です。

 

そのために、みなさんは礼拝の中で身を聖め、主を呼び、礼拝しています。

 

サタンは「敵対者」「心みる者」「誘惑者」「告白者」を意味しています。

 

Ⅰヨハネ39

9、罪のうちに歩む者は、悪魔から出た者です。神の子が現れたのは、悪魔の仕業を打ち壊すためです

 

Ⅰペテロ58

8、身を慎みしていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

9、堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。

 

みなさんが知ることは、

今、自分が置かれているものに目を留めてはいけません。

今、抱えている環境に目を留めてはいけません。

今、自分が持っているものに目を留めてはいけません。

 

「人生は主からの実りを得るようなものです。」

「主からの実りは、あなたの生活を支える力になります。」

 

4、財布も旅行袋ももたず、靴もはかずに行きなさい。道であいさつしてはけません。

 

ここは、言いかえれば、「あなたの供給源」「あなたの必要を満たすのは神様である。」言っているのです。

 

私たちの教会は、沢山の主の働きに献金をしています。

特に、世界に離散したイスラエル人は、いまも昔も迫害を受けています。ユダヤ人ということだけで迫害されています。また、ドイツでホロコーストから逃げた方々が、現在、ロシアの奥地で隠れるように生きておられます。その方々は現在、年を重ね、動くことも出来ない老人になっています。その方々は、[食料を得ることも大変なのです。]そのためにも献金しています。

 

ユダヤ人と言うだけで迫害されるということは理不尽なことです。

毎月、8000人くらいの方々がイスラエルへ帰還しています。最初にすることはヘブル語を覚えることです。簡単に働くことも出来ません。スーツケース1個だけ持って逃げて、アブラハムの祖先の地、聖書の地へ辿りついています。世界中のクリスチャンが1年間、家族を支える食料、着るものや、そういう、最初の1年を守る「里親プログラム」に献金をしています。また、[食料援助]のためにも献金しています。先日は、ウクライナから命がけで逃げて、イスラエルに帰還出来た家族の写真が届きました。これから1年間経済援助をします。

手紙が届きました。オレグ&イリーナ・メディアニーさん家族です。

「うちは新移民家蔵です。母イリーナ・ヴァリエヴリエウナ・メディアニー、父はオレグ・セルゲヴィッチ・メディアニー、息子は2015年4月17日、ウクライナのド二ブぺロペトロウーシクからイスラエルに帰還しました。今はエルサレムに住んでいます。オレグは2015年から通信技術者として働いています。イリーナは、今はまだ働いていません。長男が学校に通い、次男は母と家で過ごしています。9月には幼稚園に入れる予定です。忙しいので、ウルパン(へブライ語講座)には行けませんでした。その代わりに家でインターネットを使って自分たちで勉強しています。これらには頼れる親戚もいなので、新しい国の慣れるのは大変です。ご支援を頂けることを感謝しています。

BFPからの手紙です。

オレグさんは電気技師で、エレベーターの修理を専門に行っていました。イリーナさんは音楽院を卒業し、ハンドベル奏者でした。ウクライナとロシアの関係が危険になり、紛争が始まると、多くの会社や工場が閉鎖し給料の支払いが停止しました。男性は徴兵されて戦場へ送られました。一家が住む地域も状況は悪化し、先行きが見えなくなったため夫妻は帰還を決心しました。現在、一家は、イリーナさんの祖母も一緒にエルサレムに住んでいます。オレグさんは家族を養おうと電気技師の仕事を見つけ、直ちに働きはじめたため、新移民が無料受講できるヘブライ語講座に通えませんでした。しかし、会話が不自由なので大きな仕事には任されず最低賃金です。イリーナさんは祖母と子どもたちの世話をする傍ら、不要になったアイテムを近隣から集めてウクライナの知人たちに送って彼らを助けています。ダニエル君(6)は小学校1年生です。最初は慣れない環境に戸惑っていましたが、今はヘブライ語も覚えて友達も大勢できました。読書が大好きで、百科辞典を読んいます。年上の子どもたちと過ごしています。ダヴィド君は(2)家で過ごしており、ミニカーが好きです。お兄ちゃんが帰って来て外で一緒に遊ぶのを楽しみにしています。9月に幼稚園に預けられるようになったら、イリーナさんはヘブライ語の学びに専念したいと思っています。

家族の写真が一緒に届きました。

移民すると1年間で、ヘブライ語を話せるようにならなくてはなりません。子どもは簡覚えばれますが、大人は大変です。

私たちの教会はもっと捧げられるようになりたいと祈っています。

この働きは「ブリジス・フォー・ピース」=BFPという団体が尊い働きをして下さっています。

 

中国では、クリスチャンが毎日すごい勢いで生み出されています。聖書がまった足りません。聖書を得るために、10年かかったというクリスチャンもいます。この働きは「新生宣教団」が聖書を印刷しています。

聖書を印刷しても、実際に必要に答えることが出来ていません。また、印刷し終わったら、届けなければなりません。中国政府は認めません、しかし、毎月、沢山の日本人クリスチャンが届けています。私も数回ですが、この働きに参加しました。

 

終りの時代です。私たちが大好きなスチーブンス栄子先生が日本中の教会を巡回伝道をされています黙示録を中心にしての働きです。このためにも献金しています。

 

北朝鮮人が中国へ脱出して、子どもを生み捨てて韓国へ逃げて行きます。クリスチャンが残された子供たちを引き取って「孤児院」を立てています。しかし、政府は認めませんから、厳しい監視の中で子どもたちは守られています。その働きのためにも献金しています。

 

日本の教会が全国の教会が一致してリバイバルのために祈る聖霊派の団体日本リバイバル同盟=NRAの働きにも献金しています。

私たちの教会の母体である、日本リバイバル連盟にも当然にも献金しています。

マルコーシュ・パブリケーションは聖霊派の唯一の出版社です。この働きのためにも献金しています。

 

東北の地震で被災を受けたため、各地の働きのベースキャンプをした。森郷キャンプ場の働きのためにも献金しています。

 

熊本地震が起きて、BFPを窓口にして献金をしています。

 

教会は献金が全てです。献金は半端な額ではありませんが、出来る全てを投じて献金させて頂いています。感謝なのです。自分の身を裂いて捧げます。主からの祝福がやって来ます。嬉しいですね。献金はすることは嬉しいです。まさに献金をさせていただいている光栄を感謝します。私たちはどこへ行っても不自由しません。それだけで感謝です。すこしけんやくすれば、簡単です。痛みを伴っていますが、もっと痛んでいる方々がいます。主の働きです。

私たちの教会の献金はこの働きのために捧げられています。

教会の働きは、犠牲が伴うのです。喜んで捧げる者には祝福が待っています。

喜んで犠牲を払います。感謝、感謝、感謝です。

捧げることは「神様の無限の愛」から出発します。

これらの働きに捧げる献金は、「聖霊様の油注ぎ」によって前進します。

「油は聖霊の満たしを意味しています。」

 

私たちは聖霊様の導きのうちにあって進んでいきます。

ハレルヤ!!

 

あなたが今、自分が持っているもの。置かれている環境に目を留めるのではなく、「神様が、私のために何をして下さっているのか」ということに目を留めるなら世界が変わります。

 

私たちは、分かち合う者です。

交わりをする者です。

交流することです。

 

今、みなさんが置かれているポジションはキリストの仲間です。

つまり、イエス様が受けた油注ぎと同じ油注ぎをあなたは受けているからです。

 

ですから、今、みなさんの霊の部分に変化が起きるのです。

これから、「教会は同じ思い」「同じ同情心」「同じ熱心の中で変化が起きます。」

 

主を賛美する自分に喜びが湧き上がってくるならば、大きな変化が起きます。

主を心の底から、自分は神にしか助けはないと自覚するならば、大きな変化が起きます。

 

みなさんの心の中に変化、変革が起きますと。物事の全てが変わります。

あなたの、心の中に変化が起きますと、物事に動じなくなります。

全ては主がなさったということです。

主が私たちを訓練しておられるのです。

 

牧師はみなさんの生きる道が開かれるように祈っています。

 

どうか主よ。失われたたましいに対する救霊の思いを与えてください。

新しいたましいは、牧師一人で成せるわざではありません。

サタンにすきを与えないように、日々、御言葉と接し、生きる祈りをし、イエス様、あなたと顔と顔とを会わせたいです。私のところに来て下さい。多くの民が救われますように、私を用いてください。

 

 

ピレモン911

9、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、

10、獄中で死んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。

11、彼は、前にもあなたにとって役にたたない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとても、役になる者となったのです

 

 

パウロは牢獄の中にいました。

この神の偉大な預言者、使徒である方が、鎖で縛り上げられていたのです。

そして、牢獄に一人の人がやって来て、パウロは伝道しました。

 

この人は囚人でありました。

オネシモという名前の人物です。

 

彼は、クリスチャンになりましたが、多くの人々は彼を好んでいませんでした。

しかし、これは、私たちが持っていなければならない「神の品性」をオネシモは持っていたのです。

 

この時代の牢獄の生活は簡単なことではありません。

この時代の看守たちは非常に残酷に囚人を扱っていました。

この偉大な神の人が鎖でつながれていて、残酷な目に会っていたのです

特にパウロは重大な人物であったので、鎖につながれていました。

そういう環境の中で、パウロ言います。

パウロは鎖につながれていて、トイレにも行くことが許されていませんでした。

 

そうしたパウロにオネシモ世話をしてくれました。

パウロの汚れ切った、臭い衣服をきれいのしてくれました。

オネシモは心からパウロに仕えてくれたのです。

 

牧師がイスラエルに行った時に、先にローマに行きました。ローマは観光のためです。歩いている時に、パウロが獄中で過ごした牢獄がありました。最初は、ミケランジェロの絵が天上からいっぱいに描かれているローマの神殿を見ましたが、何の興味もありません。首が上ばかり見ていて、首が痛くなりました。

私はこんなものはこれ以上見たくない、何の意味もない。

 

パウロの牢獄へ行くことを強く要求して行きました。土牢でした。どこも同じだと思います。そのなかに入った時、心が裂けるように感じました。その牢獄の中に大きな銅版が掲げてありました。毎日、ローマ兵が監視していましたが、ローマ兵はパウロに伝道されて、みなクリスチャンになっていくのです。パウロがローマ兵に洗礼をしている銅版でした。感動しました。

 

みなさんリバイバルはもう始まっています。この教会はまだですよ。しかし、必ず偉大な出来事が起きます。その瞬間を見たいですね。何が起きるのでしょうか。

 

アメリカのペンサコーラという町にある、ブランズビル教会にリバイバルが起こされました。この町は、汚れ切った町でした。ゲイバーが沢山あったすうです。私も行きました。ブランズビル教会の神学校に行っている数人の方が、車で、案内してくれました。あそこにゲイバーが沢山あったところだと言っていました。もう何もありません。警察に捕まった犯人を、警察官が、教会に行くか、牢屋へ行くか、どちらを選ぶかと言われたそうです。みな、教会を選び、悔い改めて神の人になって行くことを聞きました。

 

リバイバルとはこういう人々が救われて行く、また、心に飢え渇きが起きている人々が救われて行きます。

 

この教会が、リバイバルの恵みを頂いたならば、愛ある教会になると信じています。リバイバルの基本は、私たちが「神様の無限の愛」がどれだけ真剣さを持っているかを神様が見て、神様が私たちを認める時に訪れます。

 

教会は「深い同情心」がなければなりません。

もし、私たちが失われたたましいへの同情心を失ったならば、死んだ教会です。人数は関係ありません。

 

私たちが、この心を失うならば、クリスチャンとしての人格を失います。

恐ろしいです。

イエス様は多くの人々を癒されました。

聖霊様がイエス様と共にいたのです。

私たちは、どこまで聖霊様を迎えているでしょうか。

 

アルゼンチンのリバイバリストである、クラウディオ・フレーソン牧師がおられます。先生は、伝道をしても、しても、教会出席者は長い間3人のおばあちゃんだけでした。先生は失望しながら、古い家を日曜だけ礼拝堂にしていました。先生はこのように言われます。

 

「人生における神のご計画や目的全てに、神は私たちがそれぞれを取り扱われるプロセスが含まれているのです。あの挫折、敗北の数年間は、自分の力であることの虚しさを私が学ぶためでした。私の能力や神学教育だけでは不十分であることを神は示されたのです。この世が必要としているものは神学でなく、“いのち”なのだと語ります。」

 

重要なことは“いのち”です。間違いなく。御言葉は“いのち”を語っているのです。神学は必要なのです。異端に走らないために絶対的に必要なのですが、この神学が、教団教派を作り上げていく現実があります。神学も同じく“いのち”を語っているのであって、優位、競争のためにあるのではありません。

 

 

へブル1256

5、そして、あなたがたに向かって子どものように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。

6、主はその愛するすべての子に、むちを加えられるからです。

 

 

この手紙を受けとった人々は、多くの患難や迫害を通して、訓練や試練を軽んじ過少評価しないように教え、神の子として訓練され、それによって学ばさせる特権に気がつくように勧めているのです。

 

訓練の目的が明らかにされています。

 

10節、後半、

霊の父は、私たちに益のため、私たちをご自分聖さに預かられようとして、懲らしめます。

 

11、では、この神に愛あるが取り扱いによって養われる「平安な義の実」が記されています。

 

フレーソン先生は語ります。

私たちは、聖霊によって気づかされ、心の内にあるものが何であるかを知らされるのです。そして、そのことを知らされる時、それを御前で告白することが必要です。私たちは簡単に間違えるので、神は試練を通して私のたちの仮面を取られます。自分には愛があると思っていても、侮辱されてみて愛がないことに気が付いてみたり、自分は謙遜だと思い込んでいても、自分がいかに傲慢であることに気が付くのです。

 

聖霊様がやって来て、私の心の掃除をして下さいます。そのように祈りましょう。「神様の愛は無限」であることを学びました。

 

祈ります。

私たちを守り、無限の愛で道を示して下さり、その道筋を歩むならば、その歩みは主がなさることであることを感謝致します。礼拝を今日も持てたことを感謝いたします。世界は動乱しています。日本も同じように「心が動乱」しています。神様の愛が日本の地で教会を通して、聖霊様の中で正しく御言葉を学び、御言葉に生きる力を与えてくださいますように祈ります。主よ。この日本の地がリバイバルされて、日本の民が主の中で生きる喜びを心に刻み、歩むことが出来すようにこの1週間の歩みを守ってください。

この祈りを主イエスキリストの御名によって祝福して祈ります。アーメン